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ミハイロフスコエ

早春の一日、ロシアの西の果て古都プスコフにて過ごす機会に恵まれことがありました。夜行列車で朝のプスコフ駅に降り立つと、町の砦であるクレムリンを目指し、その中心街へと足をひと踏みずつ記憶に刻みながら史跡を巡り歩いて半日、おおよその街の雰囲気を掴み取るや、昼過ぎにはこの先ミハイロフスコエまで足を延ばしてみようとふと思い立ったのでした。
 近代ロシア文学の原点ともいうべき詩人プーシキンゆかりの場所が、プスコフからは目と鼻の先にあると思うと急に居ても立ってもいられなくなり、街角に停まっていたタクシーに午後半日の貸切りをお願いしてみたところ快い返事を得ました。
 エストニア、ラトヴィアが西に控えるロシア国境線から東に65キロほど隔たった並行した道を南下すること115キロ、郊外の林と平原を走り抜けていく間に、晴天の青空であった天候が怪しくなりいつしか鼠色の空模様に変化していきます。ついウトウトし掛けた途端、ほらミハイロフスコエ到着だよ、好きなだけ歩き回って来るといいよ、戻って来るまでいつまでも待っているから、と運転手に声を掛けられたのを幸い、車から飛び出して、詩人が創作に際して感化を受けた土地を歩き始めました。
 雪がパラついてきたと思ったら辺りの土地は既にほんのりとした白色世界となっています。
歩きながら学生時代暗唱したロシア語の詩がつい口を衝いてきます。
「愛、希望、波風立たぬ名誉 / そんな誤魔化しにいつまでも甘やかされてはいなかった /
夢の如くに朝霧の如くに / 青春の慰みは消え去った /
だが我等にはなおも願望が燃えたぎる / 避けて通れぬ権力の重圧の下 / 抑え難い魂が…」

プーシキンの詩は、翻訳にしてしまうと美しい言葉のリズムや響きが失せてしまいますが、その朗々と伝わる虚飾のないロシア語の表現力は二百年先の私たちの時代まで見事で分かり易い言葉として残っているのです。現代のどこやらの政治家の奥歯に物が挟まったような歯切れの悪い紋切型、自身の言葉を持たないステレオタイプの発言などは恥ずかしくなってしまうような、端的で堂々たる言葉の重みがあります。
プーシキンの詩は権力者から疎まれ恐れられ、詩人20歳の時に首都ペテルブルクを追われキシニョフ、カフカース、オデッサへ、そして、1824年20代半ばに当時家族が住んでいた北ロシアの辺境の地ミハイロフスコエにやって来て2年間の蟄居生活を送ったのでした。
戯曲「ボリス・ゴドゥノフ」を執筆し、代表作「エウゲニー・オネーギン」を書き始めたこの片田舎では、庭園と池や並木、小川と森の見事なバランスが、シーシキンの風景画を思わせます。庭園の中心に、プーシキンの屋敷博物館があり、館員は愛情を込めて語り始めたならばとどまるところを知りません。
プーシキンがその時期もしも首都での生活を続けていたならば、専制政治に抗議を唱えた青年貴族将校のデカブリストの乱に加わっていたに違いありません。
ロシアの原風景ともいえる森に囲まれた景色と空気をしみじみ味わうことによって、時代を超越したロシアと出会ったような心の安らぎを覚えます。
近くのスヴャトゴールスキー修道院にプーシキンの墓があるよ、是非とも墓を詣でなくては、とガイド役の如くタクシー運転手がいつの間にか現れこちらに歩み寄ってきて時間の経過に気付かされたのでした。

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