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ロシアの飛び地カリーニングラード

 ドイツ文学者池内紀(1940-2019)氏の紀行エッセイ「消えた国 追われた人々」は、700年という長い歴史を歩んできた東プロシアについての認識を新たにしてくれます。東プロシアの首都であったケーニヒスベルクは、第二次世界大戦終結のポツダム宣言によってソ連領となり、当時の最高会議幹部会議長の名前を取ってカリーニングラードと改称されたロシアの飛び地です。こうした辺境に於ける複雑な歴史、民族と文化の変遷を知ることは、どこやらの政治家がナイーブに単一民族信仰を口にするのとは違い、複眼でものを観る力を養ってくれます。
 2001年にロシア旅行をした時の仲間と結束を深め翌年はバルト3国を旅しようと計画したのが、奇遇にも池内氏がこの消え去った国の跡を踏締めた2002年からであったと今から思えば重なる時期だったのでした。フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニアを巡り、カウナスの杉原千畝記念館、音楽家でもあったチェルリョーニスの美術館を見学した先、旅程は欲張ってリトアニアのクライペーダ(ドイツ名メーメル)、ロシアの飛び地カリーニングラード、そしてポーランドのグダンスク(ドイツ名ダンツィヒ)へと陸路で繋いでいきました。
 トロイ遺跡を発掘したことで知られるシュリーマンは若い頃オランダ商社のサンクト・ペテルブルク支店長としてロシアで働きクリミア戦争中莫大な財産を築くことになりますがその礎となったのがメーメル港です。現在クライペーダと呼ばれるそのドイツ風の街並みを北上しバルト海の岸辺までやって来ると、目と鼻の先に細長い半島が延びています。地図を開けば頼りなさげな細長い糸の様な半島の先がクライペーダにくっつかんばかり、私たちの乗車していたリトアニアの貸切バスはそのままフェリーに乗込み5分とはかからず対岸に到着。地図上はか細い線の「クルシュ砂洲」、実際は長さ98㎞のユネスコの世界遺産、北半分52㎞がリトアニア領、砂洲の途中にロシアとの国境が引かれ、カリーニングラード州に入り込むことになります。13世紀にドイツ騎士団などによってキリスト教が持込まれるまでは多神教の異教の世界であったことを思い起こさせる「魔女の丘」、ニダに建つ1930年代のトーマス・マンの別荘、1965年にサルトル、ボーボワールが過ごした砂丘、そうしたクルシュ砂洲の中を散策していれば自然とロシア国境を越えられるのではないかと想えるほどですが、林をくぐり抜けた自然の中に国境ゲートはしっかりと築かれていて、特に大型車の検問所は大行列、その渋滞故に国境通過に半日を要しました。
 現在ドイツ人は全くいなくなってしまったことで風化しつつあるドイツ的建築群とソヴィエト時代の建築の混在、数学者オイラーによる一筆書きの理論を生み出した当時の七つの橋を想い描き、ケーニヒスベルクで終生暮らしたカントの墓と大聖堂内のカント博物館を見学することでその「永久平和」確立を考察した哲学者の眼差しが強く感じられ、かつての美しい都市が混迷を深めゆく景観へと変貌した中、超然としたカントの姿勢こそ恒久であれかしと示してくれたようなカリーニングラードでした。

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