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ロシア&バルト三国の日本の歴史に関連がある場所

日本と歴史的に結び付きが強いロシアや旧ソ連地域の国々。特に極東ロシアは日本と地理的に近いこともあり、日本の歴史に関連がある場所がたくさんあります。
今回は極東ロシアではなく、サンクトペテルブルクやバルト三国の日本の歴史に関連がある場所をいくつかご紹介していきたいと思います。

〈ロシアのサンクトペテルブルク〉
サンクトペテルブルクといえば、明治時代に岩倉使節団や広瀬武夫が訪れた地ということで有名ですが、実はあの大黒屋光太夫も、このサンクトペテルブルクを訪れています。
江戸時代、船頭であった大黒屋光太夫は当時、ロシア帝国の領土であったアムチトカ島へ漂流しました。アムチトカ島に漂流してから数年後、サンクトペテルブルクを訪れた大黒屋光太夫は、エカテリーナ宮殿の大広間でエカテリーナ2世に謁見しました。ロシアへ漂流してから約10年後、大黒屋光太夫はラクスマンに連れられ日本へ帰国しました。
そのエカテリーナ宮殿はサンクトペテルブルクの中心部から少し離れているものの、謁見が行われた大広間と宮殿の素晴らしい建築様式を見るため、訪れてみることをおすすめいたします。

〈エストニアのタリン〉
IT先進国といわれているエストニア。最近、日本のメディアで、エストニアのIT事情について取り上げられることが増えてきました。また、元大関の把瑠都の出身地でもあります。エストニアの首都はタリン。そのタリンの旧市街にあるアレクサンドル・ネフスキー聖堂。タリンの旧市街で日本の歴史に関連がある場所といえば、この教会でしょう。教会内部には日露戦争で沈没したロシア艦隊のプレートがあります。日露戦争は1904年(明治37年)に発生した当時の日本とロシア帝国の戦争です。日露戦争にバルト三国は関係ないように思えるかもしれませんが、実は第一次世界大戦が終結する頃まで、バルト三国はロシア帝国の支配下に置かれていました。

〈ラトビアのリエパーヤ〉
ラトビアにも日露戦争に関連のある場所があります。ラトビアの西部の街、リエパーヤ。100年程前にリエパーヤのカロスタという地区の軍港からバルチック艦隊が出港しました。出港したバルチック艦隊は長い航海を経て日本海にたどり着き、対馬沖で日本の連合艦隊との海戦が行われました。そしてこの海戦の結果が戦争終結の大きなきっかけとなりました。
カロスタはロシア帝国の時代からソ連時代まで重要な軍事エリアでした。また、ソ連時代には一般の方が立ち入ることが出来ない場所でもありました。現在は軍事関連の遺構などを見るために訪れる方も多い場所です。日本から飛行機や鉄道、バスなどを乗り継いでリエパーヤに到着した時、バルチック艦隊の航海がいかに長いものであったか実感できるかもしれません。

〈リトアニアのカウナス〉
首都ビリニュスから100kmほど離れたところにあるカウナス。第9要塞博物館やカウナス城、悪魔の博物館など見所は少なくありません。
カウナスといえば、第二次世界大戦中にこの街に赴任した元外交官の杉原千畝は日本やイスラエルでとても有名です。杉原千畝といえば、第二次世界大戦中、ヨーロッパで厳しい状況下にあったユダヤ人の亡命のため日本通過ビザを発給し、何千人もの命を救ったと言われています。カウナスの杉原記念館では杉原千畝の生涯や功績、当時の状況などを詳しく知ることが出来ます。ビリニュスからカウナスへは電車で行くことができ、カウナス駅にある杉原千畝のプレートを見るのも良いでしょう。

最後に、日本とロシアの関係といえば、幕末に日本とロシアの間で結ばれた通商条約締結後の交流がよく知られており、記録もたくさん残っています。
ですが、幕末以前の記録には残っていない個人レベルでの深い交流がたくさんあったのかもしれません。また、シルクロードといった様々な交易路によって、日本と他の旧ソ連地域の人々との知られざる深い交流もあったのでしょう。
昔から続いているロシアや旧ソ連地域の人々との深い交流がいつまでも続くことを願っています。

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