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中ロ国境の町 ブラゴヴェーシチェンスク

日本に最も近いヨーロッパと呼ばれるロシア極東、その南部はアムール川とウスリー川によって
ロシア / 中国間の国境線が引かれています。しかし、それまで清の範疇であった土地がロシア領と
なった歴史はほんの一世紀半ほど昔のことに過ぎません。日本では幕末期、弱体化しつつある清国
につけこんでロシアは1858年璦琿条約、1860年北京条約を締結、その先にウラジヴォストーク、
ハバーロフスク、そしてブラゴヴェーシチェンスクといった新しい町が建設されていったことを念
頭から外すわけにはいきません。
 国境問題を考える学者の方々と共にブラゴヴェーシチェンスクを訪れたのは、2018年8月末のことでした。
 中国黒竜江省の中心地ハルビンから北上し黒河(ヘイホー)に到着、黒竜江(アムール川)対岸
にブラゴヴェーシチェンスクを臨むことが出来た時には、現在の中国の活気の良さと比べるとロシ
アは余りに静まり返っているように見えました。
 5分もあれば船で対岸に渡れることから、中露貿易が栄えた時には担ぎ屋が多数横行したもので
したが、既に貿易会館は用をなさずロシア土産品店がご愛嬌程度に散見されます。
 予定していた中国船は予約も順番もへったくれもなく、割込み乗船に抗議するも甲斐無く積み残
されてしまい、次のロシアのフェリー乗船券を新たに購入して黒河を出発、と忽ちにロシアに到着
です。
 両都市からアムール川を渡る橋の建設が開始され、当時はそれぞれが相手の進み具合の遅さに苦
言を呈していたものでしたが、その後ようやく2019年に双方からの橋が繋がり、いよいよ開通か
という矢先にコロナ禍で現在待機の状態となっています。
 ブラゴヴェーシチェンスクのアムール川沿いには対岸に向けてこれ見よがしに高層ビルが建って
います。川岸通りは美しく、近くのチェーホフ滞在の記念碑、ニコライ皇太子訪問記念門などの歴
史的建造物は見応えがありますが、先へ進めばロシアのどこにでもあるような素朴な街並み、そし
て戦後日本人抑留者がかつて住んでいた木造バラックや工場跡なども一部残っています。町の周辺
には大豆畑が広がり、ロシア人による豆腐工場があって、美味しい豆腐料理が振舞われました。
 石光真清(1868-1942)の手記四部作『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』は冒険物語的要素もふんだんで波瀾万丈、ツアー参加者は事前にその面白さに惹き込まれての大陸訪問。とりわけ義和団事件勃発の1900年にブラゴヴェーシチェンスクに滞在していた石光真清によって目撃された「江東六十四屯」の清国人虐殺「アムールの流血」の現場、南東110㎞先のコンスタンチーノフカ村への悪路を跳ねるように車で通ったことは並々ならぬ旅の記憶となって刻印されました。
 さらに、北東42㎞のイワーノフカ村を訪れた衝撃も強烈でした。1919年シベリア出兵の日本軍
によって293名の村民が惨殺された恐ろしい歴史、近年明らかとなったその事実を元シベリア抑留
者が現地に足を向けた時に知ることとなり、彼らの尽力により1995年に建てられた日ロ共同追悼碑
が惨事をたどるよすがとなります。

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