新・旅行ブランド「ディスカバーワールド」

カザフスタン 基本情報

KAZAKHSTAN

KAZAKHSTAN
正式名称 カザフスタン共和国/ Republic of Kazakhstan
元首 カシムジョマルト・トカエフ大統領 / Kassym-Jomart Tokayev
人口 約1,860万人(2019年)
首都 ヌルスルタン(旧名:アスタナ)
民族グループ カザフ人(67.5%)、ロシア人(19.8%)、ウズベク人(3.2%)、ウクライナ人(1.5%)
言語 カザフ語(国語)、ロシア語(公用語)
宗教 イスラム教(スンニ派)、ロシア正教
面積 約272万4900km2(日本の約7.2倍)
ビザ 30日以内の滞在においては、無査証で入国可。
電気・電圧 220V-240V/50Hz:Cタイプ
通貨 テンゲ(KZT)
1KZT=0.28円(2019年9月現在)
国旗

カザフスタン国旗

1992年に制定された。空色を背景に金色の太陽と飛ぶ鷹を配したもので、左側の帯は伝統的な民族模様。
気候 カザフスタン共和国は、西はカスピ海、東は天山山脈を隔て中国に接する世界第9位の面積を持つ大国です(日本の約7倍)。国土は北からツンドラ、ステップ、砂漠・土漠に覆われ、気候風土は地域により異なります。最大の都市アルマティはカザフスタンの南東の端、札幌とほぼ同緯度の北緯43度、アラタウ山脈(天山山脈の支脈)の麓の標高約800メートルに位置します。平均気温は夏が23℃、冬がマイナス6℃で他の中央アジアの諸都市と比べると比較的過ごしやすい地域です。
交通事情 アルマトイの空港から市街へは約15㎞離れており、市街まではバスやタクシーで移動する。所要時間は約30分。他の都市へは主に列車やバスでの移動となる。
電話のかけ方 日本からウクライナへ : 国際電話認識番号+213+市外局番(0を取る)+電話番号
ウクライナから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号

出典:外務省の各国基本情報HP

都市情報

CITY INFORMATION

アルマトィ

「アルマトィ ~南の首都~」

カザフスタンの南東部にあり、キルギス共和国との国境に近い都市。中央アジア最高水準の世界都市であり、1997年まではカザフスタンの首都でもあった。

アルマトィ郊外のコクトベには紀元前10-9世紀のものと思われる住居跡があり、紀元前7世紀頃からは古代民族のサカ族の支配地域であったと考えられている。その後、テュルク系の諸部族やカザフ人がこの地域を支配し、東西を結ぶ商業都市として栄えていた。

1854 年にロシア帝国がアルマアタ(現在のアルマトィ)にヴェルノエ要塞を建設したことにより、ビシュケクやタシケント方面への遠征の拠点地として発展し、初めて地図上にも名前が記された。1867年には要塞の名であるヴェルヌィと改称され、ロシア革命後はキルギス自治ソビエト社会主義共和国内に編入された。その後、ヴェルヌィは中央アジアの行政の中心地として栄え、1910年には元のアルマアタに改名。1929年にはたカザフ・ソヴィエト社会主義自治共和国の首都となった。

ソ連が崩壊するとカザフスタン共和国として独立し、アルマアタからアルマトィへ改称された。1997年には首都がアルマトィからアスタナへ移されたものの、現在でもアルマトィはカザフスタンの「南の首都」と呼ばれ、現在も同国の経済・文化の中心として発展している。

アルマトィは「林檎の里」という意味で、ソビエト時代には緑がとても多くあり、林檎の木もたくさんあった。今となっては建築物も増え、残念ながら林檎の木は激減してしまったが、現在でもアルマトィ産のリンゴは中央アジアのバザールで誇りをもって売られている。アルマトィの名所は、世界第二位の高さを誇る木造建築の「ゼンコフ正教会」やアルマトィを一望できる「コクトベ」などがある。

ヌルスルタン

「ヌルスルタン ~近未来都市~」

カザフスタン共和国の首都であり、同国北部にあるアクモラ州の州都でもあるヌルスルタン。ロシア帝国の支配下であった1824年にアクモリンスクとして誕生し、ツェリノグラード、アクモラ、アスタナを経て、2019年ヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領の名にちなんで、現名称であるヌルスルタンに改称した。

古来よりユーラシア北部地域と南部のシルクロードを結ぶ中継地点であったヌルスルタンは、1824年のロシア帝国によるアクモリンスコエ要塞建設後、アクモリンスク市となった。1950年代後半からフルシチョフが主導して推進した開拓政策によって周辺の開拓地の中心となり、1961年から「未開拓の都市」という意味のツェリノグラードと呼ばれた

1991年、カザフスタン共和国として独立すると、都市名もアクモラに改称。1997年に南部のアルマトイからアクモラに首都が移転すると、翌年の1998年カザフ語で「首都」を意味するアスタナへ改称された。

ヌルスルタンは建築家の黒川紀章氏が都市計画を手掛けたことで知られる。見所は首都のシンボルとして建てられた「バイテレク」や中央アジア最大級のモスクである「ハズレット・スルタン・モスク」などがある。

一覧に戻る